2008年2月15日金曜日

適正人口1:世界の人口増加


適正人口1:世界の人口増加
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 「海水淡水化」を見てきましたが、この背景には世界の人口増加という問題が厳然と控えています。

 日本では人口頭打ちから減少傾向にむかい「少子亡国論」がでたり、「少子化担当大臣」が設けられたりしてていますが、一方の中国では「一人っ子政策」が実行されたりしている。
 それぞれの国内事情で反応が違うようです。
 人口増加というものが好ましいものなのか、慎むべきものなのか論が様々にあって一定していません。

 国ではなく、世界・地球というレベルで見てみるとどうでしょう。
 人口増加が発生するのは基本的に増加した分、貧しくとも「食っていかれる」からでしょう。
 もし、食べていかれなかったら、増えるはずがありません。

 生存可能だから増えるのです。
 生存できなければ増えません。

 人間とて生物の一種に過ぎません。
 動物とは違った種類の生き物ではありません。
 よって生物法則にのっとってその数が上下するのは当然のことです。
 過去に人類の数が少なかったのは、食べられなかったからであり、現在その数が爆発的に増大しているのは、爆発的に食糧事情、すなわち農業生産が増えたからにほかなりません。

 人間が一般動物と異なっているのは、耕作して食べ物を作りだすという技術を身につけているからです。
 一般生物は自然から与えられた食料に依存しています。
 人間はそれに若干の手を加え、食料を計画的に生産し、かつ貯蓄することができる生物になっています。

 「エタノール・ガソリン」というのがあります。
 トウモロコシからとったオイルをガソリンに使っています。
 つまり、本来なら人の口に入るべきものが、食料としてではなく別の製品に使われているということです。
 それだけ農産物が余っているのです。
 ですから人口が増えているのです。
 あたりまえの事ですが増大を可能にする条件があるからこそ、可能になっているのです。

 では何故、日本の人口は減少に向かっているのでしょう。
 生物法則からいうと、きっと「食えない人間が多数発生したため」である、ということになります。
 戦後の混乱期には餓死者が多数でました。
 「遺伝子組み換え食品」で書きましたが、それが十数年で突如、日本の歴史の過去に全く存在しなかった事態、すなわち国民全体が「銀シャリの食える時代」が到来したのです。
 そして人口はどんどん増え続け、今では1億2800万人弱になりました。

 それが、2,3年前から少しづつですが、減りはじめています。
 そして、なんと食料自足率はカロリー比較で40%にまで落ちてきています。
 となれば結論は一つしかありません。
 「国民が飢えて食えなくなってきている」。
 ほんとうでしょうか。

 どうも違うような気がするのですが。
 きっと「メタボリック・シンドローム」などというのは、マスコミが作った幻影で、実際にはありはしない。
 あるとしたら「キガボリック・シンドローム」にちがいない、ということになるのですが。
 「飽食の時代」は間違いで、「飢餓の時代」が近づきつつあるらしい、となるのですが。


 いったい、人間というのはこの地球という「限界のある面積」の中でどのくらい生存可能なのか。
 一般生物としてではなく、食料を自ら作り出す能力を持った生物として、すなわち自然的生物としてではなく「社会的生物」として、どれほどの数が生存できるのだろうか。

 「地球適正人口」で検索すると50万件、「世界適正人口」で検索すると96万件、単に「適正人口」で検索すると200万件も出てきます。
 もちろんこんな数の内容をチェックなどできません。
 最初の20、30をチェックする程度です。
 頭に出てくる十件を取り上げても実にドラマチックです。

 たとえば、トップサイトはこんな感じ。

適正人口の管理
1.許容人口の決定
  資源からの許容人口と環境許容人口を総合評価。
  地球上の許容人口を地域別などに細分化して決定。
2.出生コントロール
  人口のコントロールはもっぱら出生によって行う。
  地域別、人種別などの格差を是正しつつ管理する。
3.終末管理
  人口減少のための殺人や中絶などを厳禁する。
  終末では延命よりも生存の内容を重視する。

 「おいおい、やめてくれ」と言いたくなります。
 怖いです。
 この方、きっとショック療法を考えているのではないかと思うのですが。

 次は「地球の適正人口は何億人か」という問いに対する答え。

 地球の人口とエコロジカル・フットプリント(地球個数表現)を図に示す。
 図は人口とエコロジカル・フットプリントの原点を一致させてプロットするとほぼ傾きが同じとなる。
 これから何がわかるかというと、地球1個に対しての適正人口は約50億人という。

 現在、オーバーしている十数億人はどうなるのだろう。

 どれを取り上げても、「現在人口65億人は多い」と出てきます。
 「どうもおかしいと思うのです。」
 なぜなら、いま実際に65億人が住んでおり、これから80億人ぐらいまで増えようとしているのです。
 食料が石油の替わりにガソリンに使われているのです。
 それで「多い」と言っているのです。

 まずはじめに「適正人口」ありき、で進んでいるように思えるのですが。
 適正人口を決めて、それにあわせて食糧生産をし、適正人口以上の人口は抑制すべきである、といった論理に聞こえるのです。

 人口論的社会主義というより、はじめ神サマがいて、神サマが人間を作り、その人間に合わせて自然を作った、いま人は神サマが作った以上に増えている、これは神への冒涜だ、といった宗教感覚に聞こえてくるのですが。

 適正人口のバックデータを探していきたいと思います。


 「Yahoo知恵袋」にもいろいろな質問が寄せられています。
 まずは、地球の適正人口について。


質問(2006/08/13):
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 地球の人口は、全世界で毎年1億人増加しているそうですが、地球の適正人口は、何人ぐらいなんでしょうか?。
 仮に、すべての医療行為・薬品の使用を中止すると、「大自然の摂理」によって適正人口になりますか?

ベストアンサーに選ばれた回答
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 現在の地球には65億の人がいますが、穀物の生産は、品種改良と灌漑(かんがい)、肥料や農薬の利用で50年間に2.5倍にも増えましたが、農地の4割が劣化(れっか)してしまい、穀物生産をこれ以上増やすのは難しくなりました。
 穀物は年に20億トン生産され、動物のエサでなく人が直接食べれば、100億人が食べていけます。
 ですから「大自然の摂理」にまかせるのがどういうことだと貴方が判断されているか分かりませんが、地球上に餓死する人がいる現在の状態は自然の摂理に反しているのかもしれませんね。

ベストアンサー以外の回答
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 適正規模の概念で異なります。
 簡単に言えば、「生活水準」で異なり、米国並・日本並・東南アジア並などです。
 すべての医療行為・薬品の使用を中止するだけで、大自然の摂理による適正人口ということになりますか?
 恐らく、その可能性は10%以下でしょう。
 江戸時代の日本は、最高で3千万人ほど。
 同じ国土にいまは1億2500万人。
 人が 生存するだけと、健康で文化的生活をすること、は違うでしょうし、なにが適正か難しいところ。
 「自然の摂理」といっても、現代はアメリカのように、食糧を戦略物資と位置づけ、タネは輸出しないなど いわば自然を管理下に置いてますから。
 まぁ、地球の気候に偏重をきたすほど人間が増えている「人口爆発」の今は明らかに適正人口を超えている、とはいえるでしょう。


 次は、日本の適正人口について。


質問(2007/01/03):
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 日本の人口1億2千万人は多すぎないですか?
 食料自給率が低く輸入に頼っているから成り立つのではないでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答
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 私も多すぎると考えますね。 
 やはり、国土の居住可能面積に対する適正人口というのがあるだろうから、食料自給自足の要する面積も考えると、人口が増えすぎるのは問題がありますね。
 食糧の点については、輸入に頼る現在の形式は問題があって、仮に世界全体の食糧自給不足の状況になったときに、日本の場合は自給率がカロリーベースで約40%ということだから、一気に大事件になる。
 そのときに慌てて作ろうとしてもできることではないだろう。
 そのように考えると、日本の人口は多すぎるんじゃないかな、というのは同感です。
 関連ですが、食糧の輸入自由化には当然に反対です。
 これは、日本の食糧の自給部分を潰しかねない。
 そうなると前言通り、世界食糧不足が発生したときの深刻度合いが大きくなるからです。

ベストアンサー以外の回答
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1.
 私も多いと思うし、本来は経済的にも国際社会の中で主要になるような国じゃありません。
 出生率低下っていうのも長い目で見れば増えすぎた人口を適正状態に戻すべく、言ってみれば人間の本能的な部分での調整がされているだけと思います。
 50年くらいは厳しいかもしれませんが、100年後200年後を考えれば人口の減少というのはごく自然な話です。
2.
 多すぎはしないと思いますよ。
 集中しすぎているとは思いますが。
3.
 食料自給率が高いと推測される1900年の人口が約9000千万人であったのだから、人口が多すぎるということはないと思います。
 人口よりも少子高齢化のほうが問題ですね。日本の力が減少していきます。


 ちょっと踏み込んだ内容の質問がこれ。


質問(2007/10/20):
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 なぜ日本だけが、食料自給率が少ない国として人口大国でありうるのでしょうか?
 日本より人口が多い国は全て食料自給率は80%以上です。

ベストアンサーに選ばれた回答
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 今の所、大規模な国際的な不作や冷戦後に大規模な国際紛争が発生していないから。
 戦後直後は食糧購入の金も無く、備蓄も使い果たしていたので、現実大量の餓死者や栄養失調を排出しました。
 地球温暖化による地球規模の天候不純が発生しており、今後、世界的な規模の不作が発生する可能性が在ります。
 このような状況で他国が自分の国の分を削ってまで日本に売ってくれるでしょうか?
 今まで、偶然と冷戦構造が重なって売って貰えていただけですし、少し前まで日本の自給率は70%を超えていましたから問題では在りませんでしたし、日本は備蓄米を持ち、米は保存穀物としては優れた性質の食糧です。
 今だけの経済状況で楽観視していても必ず将来ひどい目にあいます。

 現実、日本食ブームでマグロが高騰しています。
 10年前、日本人以外でまぐろをここまで外国人が食べるようになると誰か予想出来たでしようか?
 日本人が食べるマグロはどんどん無くなりつつ在ります。
 海外からの輸入に頼るのは非常に危険な事です。
 魚は以前程、たくさんとれません。
 にしん・いわし・たらetc。

 自給率下げたらただでさえ、老人人口が圧迫している米農家は採算性と価格競争から破綻します。
 ブランド米ではない地方の農家は廃業し、農地から波及して地方地価は下落、地方経済は担保資産を失います。
 こうして、地域格差、特に東北と中国・四国は壊滅的な打撃を受けます。

 アメリカや中国の米との競争が決定的に違う点は農作地価と規模です。
 また、日本の山村風景や里山環境等弥生時代から続いて来た米作の風景と環境は徹底破壊されます。
 玄米を食べ様にも地方の農村共同体が破綻しますから、米は一部でしか作られなくなり、全体には回らなくなります。
 米の完全輸入フリーは日本を壊滅させます。
 無論、そこで直に餓死はおきませんが、自給率をさげたまま輸入に依存すれば、世界的な凶作の時に餓死者は間違い無く出ます。

 いざと言う時に第一次産業をやれと言ってもそんな簡単な物で無い事は第二次大戦後の飢饉がその事を良く証明しています。
 米が余っているのは今現在の話で、米農家が壊滅した後では在りません。
 米農家が壊滅すれば生産料は落ち込みますからすぐに備蓄も底をつきます。
 日本は山間産地が多い為、無論大規模農法には適しませんしね。

ベストアンサー以外の回答
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1.
 買う金があり、売ってくれるから。
 これが金がなくなり、売ってくれていた国が食料不足になったら・・・・。
 日本人は何人飢え死にするかわかりません。
 これは、現実の未来かも知れません。
 他にもいろんな食料危機のシナリオがあります。
 まだまだ楽観主義の方がおられますね。
 いざとなったとき一番国を批判する輩になるんでしょう。
 悲しいです。
 最終的に危機の時は自分事は自分で守ると云うことを肝に銘じています。
2.
 貧困富裕の差だとおもいます。
 貧困の国は、自給せざるえない環境・・・
 富裕の国は、金の力があるので・・自給しなくてもよくなった。
 日本はこれからは、自給しないといけないでしょう。
3.
 一番多く買っている食物は、飼料穀物です。
 次が、海老や贅沢な食品です。
 贅沢食品と、飼料を買わなければ、今でも自給率は60%位有ります。
 即ち、飼料で作る肉と、グルメ食を食べなければ、輸入金額は激減します。
 「餓死」などはしませんよ。
 米は余っているのですから、、また生産余力が充分ありますから「餓死」なんてしませんよ。
 肉と、グルメ食は続けられないかも、、、、涙! 
 玄米、お新香ウ、お野菜、魚、たら腹食べられますよ、、、
 これ等の食品で、自給率を90%に持って行くのは簡単な事です。
 貧乏になったら、玄米を食いなさい!!!!!
4.
 我が国の主食である「コメ」が単位面積当たりの収穫率が高いことがあげられます。
 これがパン食だったとして小麦畑を作るとしたら到底まかなえようはずがありません。
5.
 人口密度が非常に高く、しかも生活水準が高いからです。
 現在の食生活の水準を維持しながら、約1億の全員を国産だけで食わせていくことは始めから不可能です。
 鎖国状態、即ち自給自足状態が維持されていた、江戸時代の人口は約3,000万人でした。
 技術の進歩を考えても、多くを輸入に頼らざるを得ません。


 なるほど。
 いろいろな意見があります。
 ざっと検索しただけで、これほどのデータを集められるのが電子網のスゴさ、というより恐ろしい。

 でも、ちょっと考えると分かる矛盾があります。
 例えば、食糧危機が来たとき、一番安心していられるのは「自前で食糧を生産してところ」とは、考え易いですが果たしてそうでしょうか。

 なぜなら、「食糧危機」というのは「生産地を最も強烈に直撃する」ものなのです。
 消費地はその危機を分散できます。
 でも生産地はそれができません。
 もろ、そのままダメージになります。
 リスクを回避する手段がありません。
 ために、食糧危機がきたときは、食糧消費地は食糧生産地に対して、手持ちの食糧の一部を割いて食糧援助をすることを強いられるはずなのです。
 経済学のやさしい法則です。

 ここは数年来の干ばつ。
 政府の手厚い保護支援政策にもかかわらず、農業を離れる人は後を絶たない。
 しかし、街のショッピングセンターにはあふれるばかりの食料品が売られている。
 干ばつなんのその。

 アジア、北米、南米から、世界中から食品が集まってきている。
 果物はすべてアメリカ産である。
 農業国でありながら地元のものを探すのに苦労する。

 壮年以上の半分は「肥満」。

 干ばつ何処吹く風である。
 苦しんでいるのは生産者である。
 貨物に改造されたジャンボのおなかにたらふく抱え込まれた食糧が、売り先を求めて世界中を飛び回っている。

 その他にも、「そうだろうか」という説もありますが、人それぞれの考え方によります。


 もう少し詳しく、見ていきましょう。



<つづく>



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